ゆーみんの想い

活動の原点は
産後のつらい経験

産後TOMOサポは
つくばで産前産後の
ご家族を救う場所でありたい
なぜなら
わたし自身が
辛い産後を経験してきたから…
私と同じ想いをする女性を
一人でも減らしたい!
その想いを抱くきっかけとなった
ゆーみんの産後の話。

はじめての出産…赤ちゃんとの暮らしがイメージできない!

私が初めて出産したのは、10年前。当時は神戸市に住んでいて、夫と二人でマンション暮らしでした。苦しいツワリを乗り越えたものの、里帰り先の産院で切迫早産と言い渡され、臨月に入るまで約2か月の絶対安静!トイレとご飯とシャワーしか動くことを許されず、実家とはいえ、周囲に友人もいなくて、精神的にツラい時期でした。でも、出産して赤ちゃんが生まれてくれば、なんとかなる!と思っていました。赤ちゃんがいる暮らし、産後を全くイメージできていなかったのです。

赤ちゃんは可愛いのに…ワンオペ育児、産後うつ、産後クライシス、社会からの隔絶感

大変な状況の中でしたが、お産は順調!そこからが、大変な産後の始まりでした。産後直後から、原因不明の高血圧で起き上がれず、車いすで病室まで運ばれ、そこからまったく眠れなくなってしまったのです。

母子同室で、初めての母乳育児にも、悪戦苦闘していました。新米ママの私は上手に吸わせられず、カチコチにおっぱいは張るし、乳首は裂けて血がにじむ…。でも、完璧主義なところも相まって、「できない」の一言がなぜか言えなくて、涙がぽろぽろこぼれてしまいました。完全に産後うつですよね。

神戸にもどってからは、ワンオペ育児。
仕事で帰りの遅い夫にイライラをつのらせていました。私はこんなに生活が変わったのに、夫は産前と変わらない生活をしているのは、なぜ?と、夫との生活や気持ちのすれ違いを感じました。
赤ちゃんのお世話と家事だけで、気づけば一日が終わってしまい、誰とも話すことがない日もあります。頑張っているのに、認めてもらえない、社会から孤立している感覚。

今なら、産後は疲れやホルモンバランスの急激な変化のせいで、頭も働かず言語化がうまくできないんだと、知っています。気持ちも不安定になってしまいます。涙が止まらなくなることだってあります。でも、当時はわからなかったし、うまく人に頼ることができなかったのです。とにかく必死で可愛い赤ちゃんを育てていました。

涙ぽろぽろ産後うつ、産後の孤独、産後クライシス…赤ちゃんは可愛いのにぐったり…

育休復帰 ~          「母親なんだから当たり前」「仕事と子供どっちが大事?」

1年の育休復帰を経て、保育園に子供を預けて復帰しました。
育休とはいっても、私は体調面に不安があったので、パートタイムの研究補助。女性リーダーで働きやすい環境でした。同じ研究チームのみんなは全員女性で、家事に育児に仕事にとても頑張っていたので、私の大変さくらい当たり前、頑張って乗り越えなくちゃ、と思っていました。


また、「母親なんだから、仕事していないときは子供の面倒は母親がみる」「母親なんだから、きちんと家事もしなくっちゃ」と母親がこうでなくちゃいけない呪縛にがんじがらめになっていました。

「時短で仕事しているんだから、その分集中して仕事しなくては」と仕事中は駆け回り、お昼も慌ただしく食べ、トイレも気づいたら行く暇なし、退社と同時にお迎えに走り、そのまま買い物、夕飯作り、洗濯掃除、翌日の保育園の準備…とへとへとでした。

特に子供は、保育園に全然慣れずに泣いていて、お迎えに行けば不安だった気持ちを埋めるようにずーっとぴったりくっついていました。


「こんなにママと一緒にいたい子供を置いてまで、仕事に行く価値はあるのか?」「子供にとってのママはたった一人。仕事はほかにもできる人がいる。子供との時間を大切にするべきなのでは?」と自分の時間の使い方、人生の中での優先順位のつけ方に、とても悩みました。

また、病気ももらいがちな子供で、月曜日に保育園に行くと、火曜日には鼻水をたらし、水曜日に熱を出して、一週間お休み…また翌週も同じようにと繰り返し、有給休暇はあっという間に消化してしまいました。体調を崩してしまう子供のしんどそうな様子を見て悲しくなり、そして職場にも休むことで迷惑をかけてしまって、という罪悪感に苛まれました。

子供も大切、仕事も大切、そんな自分や家族が過ごすおうちも大切だから家事もしたいのに、抱っこやご飯作りであっという間に時間は過ぎてしまい、3時間睡眠で過ごすのが3年程続き、月1回は私も39度の熱を出すようになっていました。

子供と仕事を天秤にかけるような状態で、結局は子供を想って、仕事を手離す選択をしたり、キャリアを考えなおす女性が多いことは、身をもってわかります。そうですよね、みんな、悩みますよね。でも、本当は、そんな天秤にかける必要がない状態が、あるべき社会の姿だと私は思います。

夫との衝突…産後クライシス…  助けられた言葉。「人にたよる」ことは、悪いことじゃない。

こんなに日夜私が走り回っているのに、ほとんど変わらない夫に、ついにキレて衝突したことがありました。そのまま子供を保育園に預けて仕事に行きましたが、泣きながら、職場の共通の友人に話を聞いてもらうことができました。

「どちらの気持ちもよくわかるんよ~。でもな、もう限界なんやんか?どちらも家事育児に仕事に、頑張ってるから、これ以上は他に頼むか、時間とお金をかけるしかないと思うで。お金をかけるのはもったいないとか思うのわかるけど、これは必要経費やで。生活していくための、必要経費って割り切って、保育園に預ける時間を増やしてみたらどう?」

信頼する方の言葉に、「母親なんだから、できて当たり前」の呪縛がストンと落ちたような瞬間でした。「できないときは、人の手をかりる」「借りてもいい」「それは生きていくための必要経費」。私のココロの詰まりを解いてくれました。

それから、仕事の時間+少し家事をするための時間的な余裕をもって、保育園に預ける日を作ることにし、1年間泣き続けて通った保育園から、企業主導型の新設保育園に移りました。金額は高くなったものの、新設ということもあり、人数がぐっと少ない小規模保育、手厚い先生方のあたたかいまなざしと言葉がけで、子供も徐々に楽しく過ごせるようになりました。

また先生が、親にも寄り添って、私の日頃の育児の悩みにもこたえてくださり、私にとっても子供にとっても、安心し、ほっと信頼して過ごせる環境で、第二のおうちのようなところでした。

家族が笑顔で幸せに暮らすために、家族で負担しきれないところは「人の手を借りる」「必要経費を出すことも大切」。そう学んだ神戸時代でした。

つくばでの子育て        ~人の手を借りる二人目出産。孤独を感じない産後で心も体も楽に… 

夫の仕事の都合でつくばへ引っ越してきました。偶然にもつくばは実家があり、夫婦2人だけで乗り超えなくても大丈夫、という安心感にホッとしました。
2人目の出産では、実家には帰らず、母に昼間来てもらって、ご飯作りや身の回りのことをお願いしました。1人目出産では、里帰りだったため、産じょく期を知らずに来た夫でしたが、入院中の上の子の寝かしつけと朝の支度や、退院後は赤ちゃんの沐浴などもしてくれました。
夫も産前産後の女性の心と体の変化について、それまで知らなかったため、母が私に「産後は寝ていないとその後大変なことになるのよ!」という言葉に、産じょく期は養生しないといけないのだと、気が付いた様子です。

また、産じょく期以降は一人で家事育児を抱え込まないように、定期的にファミリーサポートを依頼していました。子供を見ていてもらう間に、たまっていた家事や用事をこなすことで、自分の生活や気持ちに余裕ができました。また子育て経験があるファミサポさんが、子供の成長を一緒に見守り「この時期はこれくらいの離乳食が食べられる頃よ」「ずいぶん大きくなって!」「ママ頑張ってるね!ゆっくり休んでね」と子供の成長だけでなく、私への気遣いもしてくださるおかげで、一緒に成長を喜び分かち合える嬉しさにつながりました。

またご近所のママ友さんが、気にかけてくれたり、子供を預かってくれることで、体だけでなく気持ちにも余裕が持てました。一人目の孤独な育児とは違い、あたたかい気持ちで子育てができ、本当にありがたいことです。

こうして密室になりがちな家庭に、第三者が入ってサポートしてくれると、妻が言ってもわかってもらえず、なかなか変わらない夫も、自然と納得できるようでした。仕事が忙しい男性は、普段の家事育児の様子がみえていません。つい「頑張りが足りない」「やり方が悪い」など思いがちですが、産前産後の知識を得て、家事育児のタスク全体が見えてくると、理解してくれることも多いのです。

「恩送り。私も助けてもらいました。次は私が助ける番です」

らい産後をすごした一人目育児でしたが、
「人に頼る」ことで、子供たちも私自身も、安心して過ごすことができました。
産後は大量のマルチタスク同時進行でこなさなければなりません。一人でできなくても、自分を責めることはありません。
夫婦二人で足りないところは、人の手を借りる。それは悪いことではないのです。安心して頼れる場所がふえることは、親にとっても子供にとっても、幸せなこと。そのあたたかさを、次の方に恩送りしていく…。そうして地域でつながり、優しい社会になっていくことを願っています。

社会と赤ちゃんが断絶されている
ゆるやかにつながりあえる社会をめざして

普段周りを見回してみても、赤ちゃんはお家にママと一緒に過ごしているか、保育園幼稚園、成長とともに、小学校、中学校、高校、大学、会社…とそれぞれのコミュニティや世代に区切られてしまっています。
赤ちゃんを抱えた暮らしを、産後になるまで知らないできてしまうのは、こうした断絶された社会構造の仕組みが抱える問題だと、私は思います。

赤ちゃんや子供たちがもっと、社会に身近に存在していれば…産後の暮らしや赤ちゃんとの接し方、どう手助けしていけばいいかも、自然と学ぶ機会が増えるでしょう。また、街で赤ちゃんや親子連れをみかけ、困っているときには、優しく声をかけたり手助けをすることができると思うのです。

それは、待ったなしの高齢化社会に対しても同じことで、高齢の方を身近に感じ助けながら過ごせる社会の仕組み、赤ちゃんを抱えた親子を支える社会の仕組み…

社会全体が、ゆるやかにつながりをもっている…弱い立場の人を助けはぐくみあえる社会をわたしはつくりたいです。
それは、人に差し伸べる手助けとなるだけでなく、いつか自分を助け、私たち自身の心や暮らしを豊かにしてくれるはずです。